葬儀の必要性とは?

本当の葬儀の意味とは何なのでしょうか?

 

亡くなった家族のためと思っていましたが、実は残された家族が心の整理を付けるためでもあったわけです。
葬儀、お墓や法要なども、仏教での慣わしで行なっていますが、本当は残された家族がやりたいという強い気持ちがあるのかもしれません。

 

私は家族が亡くなるまでの闘病生活の間、十分に世話を行なってきましたし、やるだけのことはやった感があり、それ程葬儀についてはこだわりがなかったです。
家族葬儀、自宅での葬儀で十分だと。。。

 

しかし、生前ほとんど闘病生活のお世話を行なわなかったほかの家族は、十分な葬儀を行いたいと言い出しました。
お墓や法要なども必要だと。
それぞれの考え方、仏教を信仰しているか?によっても異なると思いますが、もしかしたら亡くなる前に十分に家族のために世話を行えなかった心残りのある人は、「せめて葬儀だけでも盛大に」と考えてしまうのかもしれません。

 

生きているうちに精一杯行なってあげた充実感があるなら、それ程葬儀などにはこだわる必要性はないと思います。
本当の葬儀とは、家族が心の整理を付けるためなのかもしれませんね。

 

最初は自宅での葬儀でも良いと言っていた私ですが、葬儀会社で形式ばった葬儀を行なってもらって、最終的には良かったとおもっています。
葬儀のレールに乗せられて、葬儀が進行していくため、心の準備もしやすかったからです。。
火葬のみで直葬を行っただけの人は、心の整理が付かず、後々残ってしまう方も居るそうです。

 

どんな形でも良いですし、自由な発想の最近の葬儀でも良いのではないでしょうか。
亡くなった方のためとはいいますが、結局は残された家族のために行ないたいのです。
宗教にとらわれて、マナーで十分な悲しみを分かち合えないのも悲しいことだと思います。

 

自宅で葬儀を行い、後でお別れ会のようなもので会場を借りて行なっても良いと思います。
ただし、その方を本当に見送りたい方は、心の整理のためにも湯かんや最後に棺を閉める作業は行なった方が良いとおもいます。

 

湯かんは亡くなった家族を綺麗にして、死に化粧をし、死ぬための衣装へと着替えていきます。
綺麗に体を整え、棺に入れられる姿は、是非見ておいた方が良いと思いました。
私は、本当に亡くなったのだという気持ちがわかなかったのですが、そのとき改めて家族が亡くなったことを認識できたからです。
綺麗になっていく姿を見て、心の整理が付くように感じられました。
その時は不思議と涙は出ず、綺麗にしてもらってよかったという気持ちがわいてきました。

 

最後に棺に花を入れてそれぞれが別れをし、釘を打つ作業があります。
亡くなった方との最後の別れとなるため、とても辛いのですが、これがなければもしかしたら火葬するという決意がつかないかもしれません。
形式的に進行しますし、周りに迷惑をかけられないと思うと、気持ちを切り換えることができたように思います。

 

どんな葬儀でもかまいませんが、お別れに必要な行為はもしかしたら、残された家族のために必要かもしれません

 

お葬式の必要性を考える人が増えた理由

なぜお葬式の必要性を考える人が増えたのでしょうか。
それは戒名の高さに気が付いた人が増えているからです。
もちろん葬儀業者の高額な費用にも、違和感があることを感じ取ったからでしょう。

 

以前のお葬式といえば、故人を成仏させるという意味合いが深かったように思います。
日本では僧侶を呼び葬儀をおこなうため、費用が高額になる場合が少なくありませんでした。
黙って業者にまかせていれば100万円以上はあたりまえ、地域によっては200万円や300万円以上いくこともあります。

 

僧侶や寺院、葬式をおこなう業者に対して支払う費用が、どれほど無駄なものか気が付いた人が増えているためです。
今はネットで情報収集がおこなえる時代となったため、豪華な葬儀の方法に違和感を持つ方も増えています。

 

本来なら数珠をもって遺族が祈るだけでもよいはずなのに、僧侶を呼ぶだけで数十万円もしますし、葬儀は数十万円から数百万円もします。
仏教の考え方では、極楽浄土に行くために仏教徒になる必要があって、そのために戒名を授かるという考え方により、お葬式では仏式がおこなわれてきました。

 

しかし、世界では数十万円などシンプルな葬式なのに、なぜ日本だけこれだけの費用がかかってしまうようになったのでしょうか?
それは、葬式を商売として始めたことが問題となっていると考えられます。

 

戒名にある院号をもらうことで、極楽浄土に行けるか?ということも疑問ですよね。
お布施は自由な金額を付けてよいはずなのに、戒名の位によって金額がわかれています。
つまりお金で死後の世界の様子を買っているということなのです。

 

遺族としては「故人があの世に行って幸せになって欲しい」と思うものです。
この気持ちは誰もが持っています。
しかし、はたして仏教のならわしによって葬儀をおこなうことが、本当に故人のためになっているかはわからないのです。

 

結局はお寺の経営をなりたたなければならず、戒名や葬式にもお金のランクを付けざるを得ないのです。

 

家族が見送ってあげたい気持ちは自然なもの

本来家族が故人を見送ってあげたいという気持ちは、自然なものです。
しかし、葬式や戒名には様々なプランが設けられ、商売として成り立っているのが問題となってきています。

 

・葬儀業者のいいなりにお金を払う必要があるのか?
・戒名のランクで死後の様子が変わるのはおかしいのでは?
という疑問を抱く人が増えてきています。

 

今までは葬式=数百万円かかるのが普通、このように考え疑う人はいませんでした。
でも、すぐに処分してしまう祭壇や花になぜ高額な費用をかけなければならないのか、疑問を持つのは不思議なことではないです。

 

もしかしたら、祭壇は使いまわしをしているかもしれない。
葬儀はコミコミパックになっていて、それぞれの細かい費用の内訳は提示されないことがほとんどです。

 

近年は節約志向が働いている

近年は不景気で収入アップが見込める可能性も低いため、一般庶民の間では節約志向が定着しています。
日本はこれ以上の経済の発展も見込めないと判断した人は、無駄なお金をかけているような気がする葬儀の費用を節約したいと考え始めているのです。

 

今は核家族化も進んでいて、質素な葬儀をして見栄を張る必要もなくなりました。
以前は世間体から「豪華な葬儀をおこなわないと恥ずかしい」という認識もあったのでしょう。

 

最近は、家族だけの葬儀も一般的になってきているため、会社の人や近所の人に対し見栄を張る必要もなくなってきたのです。

 

高額なお金をかけて葬儀をするのは、もはや一般的ではなくなってきています。
そもそも戒名をもらうということは、仏教の世界で出家することを意味しているのです。
死後の世界で幸せに暮らすという意味でもなく、仏教徒になるということ。
本来は生前に戒名をもらうのが普通でしたが、今は葬儀をおこなうために仕方なく戒名をもらうことが一般的になってきています。

 

法号や法名にお金をかけるのは理想的ではないように思います。
ただ見えないものに安心感を求めているだけで、戒名や葬式に高額な費用をかけてきたのです。

 

最近は檀家というシステムもなくなりつつあり、お寺の経営状況も厳しいといいます。

・本当に墓は必要か?
・仏壇は必要なのか?
・葬式の必要性は?
・戒名は要るものなのか?

このような疑問を抱く人が増えてきたためです。

 

檀家とはお寺にお布施をする代わりに、先祖の霊を手厚く供養してもらうことができるものです。
始まりは江戸時代のことで、キリスト教を弾圧するために発足されたものでした。
誰もが檀家になることで、自分はキリシタンではないということを証明させたのです。

 

そのシステムが未だに残っていて、檀家になっている方もいます。
本来の意味がキリスト教の弾圧で仏教徒であることの証でしたから、今ある先祖の霊をまつるために檀家にならなければならないという意味は本来ではありません。

 

核家族により家族葬が受け入れられてきた

家族の人数も減ってきている現代社会では、家族葬で十分という家庭も増えているようです。
確かに周りを見渡すと、家族葬の姿を多く見ることがあります。

 

高齢化社会に伴い、故人と親しい人も少なくなってきているため、近い家族だけでの葬儀が一般的になりつつあります。
90歳にもなっていれば、周りに親しい人も少なくなり、会社時代の知り合いが葬儀に訪れる機会も減ってくるからです。

 

参列する人が少なければ、家族葬で十分だと考えるのは不思議ではありません。

 

では、アメリカの葬儀の形はどうなのでしょうか?
映画でも葬儀の様子を見ることがありますよね。
アメリカでは仏教でいうお経のような存在はなく、遺族や親しい人が手を合わせるだけです。

 

お墓まではリムジンカーで棺を運び、神父や牧師が話をして、黙とうしてから埋葬します。
日本ではおなじみの香典という制度もないため、費用はそれほどかかりません。
埋葬後に会食がおこなわれますが、皆で食べ物を持ち寄ったりケータリングを頼んだりするスタイルです。

 

身寄りの少ない高齢者が増えていく時代

今は身寄りのない高齢者や、おひとり様も増えていく時代です。
そのため終活をする方も少なくありません。

 

お年寄りが遠方から葬儀に訪れるのも大変なことのため、今までの葬儀の必要性は薄れていくように感じられます。
遠方からくるとなると車代を出す必要もありますから、遠慮してしまう場合もあるでしょう。

 

本来の葬儀は、故人をあの世へと送り出すためのものです。
故人の死を惜しむ気持ちがあるからこそ、葬儀をおこなって故人とのお別れをするためにあります。

 

葬儀業者のいいなりに高額な費用を取られてきたことに気が付いた人たちがいるため、今までのスタイルは成り立つものではありません。

 

しかし、年配の親戚がいる場合は、成仏するためにお経が必要、戒名が必要だと考える人はいるようです。
そのような古い考え方にとらわれている人がいると、葬式の必要性に疑問を感じる場合でも、何かしらお経や戒名は必要となってしまいます。

 

結局はお経をあげてもらうのも、戒名ももらうのも自己満足の部類です。
それでも、残された家族が満足できるなら、それでもよいでしょう。

 

遺言で葬儀が要らないと言われたら?

故人が無宗教で、死後の世界にお経も戒名も要らないと思っている場合はどうすればいいのでしょうか?
その場合は簡単なセレモニーだけを執り行う方法があります。

 

あの世に行くために本人がお経も戒名も要らないと感じるのは、仏教徒ではないからです。
告別式は自由な形でお別れ会のようなスタイルにすれば、お経も戒名も不要となります。

 

しかし、自由なスタイルとするには、やはり本人が終活をしながら、どのようなお葬式にするか明確にしておかないといけません。
なぜなら、日本人なら誰もがお葬式にはお経と戒名がセットになった考え方を持っているからです。

 

葬式不要論が出てきたのは、お寺への不信感、料金の高額さがあります。
一昔までは高額な費用をかけて葬儀をあげるのは主流だったかもしれませんが、現代は近所の人間関係も気薄になっているため、それほど豪勢にする必要もなくなってきています。

 

葬儀業者のなかには悪質なところもあるのですが、ネットが使えない時代には表面に出てくることがありませんでした。
そういった業者はどんどん淘汰されていき、低価格で良心的な葬儀業者が生き残る時代となってきたようです。

 

今はネットで情報収集ができる時代のため、透明性が問われています。
葬儀にたいする価値観も変わってきているため、高額な金額をかけたから家族思い、という考え方もすたれてきているようです。

 

今後は初七日、四十九日、納骨、初盆などの法事も、必要性が問われるかもしれません。
今までは何となく義務のような感じでちゃんとやっていた方も、悔いのない自分らしい葬儀をする人が増えると考えられます。

 

坊主丸儲け、宗教団体だけが税金を払わなくてもよいことに気が付き、儲かることだけにとらわれているお寺は存在自体が危なくなっていくのかもしれません。

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